妖精たちにうっとり。挿絵画家シシリー・メアリー・バーカー
はじめに
今回ご紹介するのは、イギリスの挿絵画家シシリー・メアリー・バーカー。
スイートピー
1つ目の作品はこちら。
スイートピーの妖精たちが描かれています。姉妹でしょうか、右側の女の子が左側の自分より幼い女の子に花の帽子をかぶせてあげているところのようです。仕草からあたたかい心の通い合いが感じられます。2人とも服や羽根のデザインがとても凝っていますね。正確に描写された花や茎も2人に寄り添い包んでいます。儚く淡い色調も味わい深いですね。
タンジー
2点目はこちら。
タンジーの妖精。タンジーは英語で「Golden buttons(金のボタン)」という別名で呼ばれています。そこから着想を得たのか、妖精はタンジーの花をボタンにして服に縫い付けています。手の表現が細やか。裁縫をする姿が一生懸命で応援したくなります。この子も蝶のような羽が生えていますね。タンジーも精密に描かれています。
※http://theflowerfairyshop.com/shop/wayside-fairies/tansy-flower-fairy/から画像を引用
作者の生い立ち
続いては、作者の人生について見ていきましょう。シシリー・メアリー・バーカーは、1895年6月28日、ロンドン南方、サリーのクロイドンで、ウォルター・バーカーとメアリ・エリノア・オスワルドのあいだの第二子として生まれました。子供時代、シシリーはてんかんを患っていました。彼女は学校へは通わず、家庭教育で教養を身に付けました。屋外に出ることは少なく、子供時代は読書と絵を描くことに関心がありました。
シシリーの才能は早くから発揮され、水彩画の心得があった父親ウォルターが彼女のよき師となりました。1908年、わずか13歳のシシリーは、クロイドン芸術協会に作品を出展しました。1911年には、四つの作品に買い手が付きます。病気に負けず、10代から活躍していたんですね。
ところが1912年、不幸なことに、父ウォルターは41歳の若さで逝去し、シシリーはよき指導者をなくすと共に、バーカー一家は経済的な困窮に見舞われました。シシリーの姉ドロシーは、教師の資格を持っており、一家の生計を引き受けました。シシリー自身も、詩作品や水彩画を雑誌社に売ることで、姉を支えました。そのキャリアの中で物語も出版しました。
敬虔なキリスト教徒であったシシリーは、キリスト教関係の聖歌や詩の本の挿絵を描き、また教会のパネル画や、祭壇の装飾画などを描きました。ポストカードやグリーティング・カードの挿絵は、若い頃から最後まで描き続けています。
1954年に、悲しい出来事が起きます。姉のドロシーが心臓麻痺で世を去ったことでした。老いた母親と二人残されたシシリーは、家事を維持するのに精一杯で、創作活動は休止されました。更に1960年には、母メアリが世を去りました。彼女は長年住み馴染んだクロイドンを出て、サセックス州へと移ります。シシリーは高齢で、視力も損ない体力も衰えてはいましたが、1961年から1972年に渡り、クロイドン芸術協会の副会長を務めました。そして1973年2月16日、77歳で逝去しました。
おわりに
気に入っていただけましたでしょうか?シシリー・メアリー・バーカーの作品とは文房具屋さんでポストカードが売っていたことで出会いました。文房具屋さんは身近ながらクリエイティブのヒントが詰まっている場所かもしれませんね。下記のマスキングテープも可愛いですよ。それでは、今回もみなさんに瞳の至福が訪れますように!
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